概要
物語の中心にいる茜寧は他者から愛されたいという欲求と、愛されるために本当の自分をさらけ出せないという悩みに苦しめられている。
彼女は小説の登場人物に自分を重ね、自分を救い出してくれる『あい』の存在を探し続けていた。
そんな中で偶然見つけた容姿も、見た目も、性格も『あい』そのものである宇川逢(あい)と知り合い、小説の追体験をすることで自分を救い出してもらおうと画策する。
感想
茜寧の愛されたいという欲求は他者に気づかれることなく、また気づかれていないからこそ自分の取る愛されるための言動をする自分自身に嫌悪を抱く。
こういう経験は誰にでもあるんじゃないかと思う。
僕も愛されたいとは違うけど、他の感情に置き換えたら身に覚えがある。
既に自分の中で嫌っている相手にすらも、嫌われないためにへりくだった態度で接してしまったり。
純粋に感想を書こうと思って始めたブログも共感、称賛されたくて率直に思ったことを書けなくなったり。
自己嫌悪自体は珍しいことではない、しかしその嫌悪感でどれだけ苦しむのかは個人によって違う。
その苦しみを自身の体験に置き換えて『みんなも同じように悩んでいるから大丈夫だよ』なんて、アドバイスを送ったことはないだろうか。
そんな事を考えてドキリとした。
それぞれが持つ悩みはその人達だけのもので、周りの人間が勝手に苦しみの大きさを測っていいものではない。
稚拙ながらもそんなことを考えさせられた。
物語の最後には作中に出てくる小説にの主人公ついて語られる場面が出てくる。
曰く、作者は作中で主人公が誰なのかを明記していないし、対談を含めても一貫して主人公については言及していないとのこと。
そのことについて作者は
全ての人が、主人公だったかもしれないだけのありふれた存在なの。それと同じように、小説は登場人物達の一部分にフォーカスを当てて切り取るだけのもので、誰かを主人公にして良き方向に持っていってあげられるわけじゃないわ。
と語る。
また、最後のセリフは
どうか、この物語があなただけのものでありますように
これらのセリフから、以下のようなメッセージなのかな?と考えました
あなたの人生はあなただけのものだから、好きな解釈をして生きたらいい。一方で、私たちはみんなありふれた存在なのだから主人公らしく振る舞う必要もない。
適当に生きたらいいのです
おわりに
『か「」く「」し「」ご「」と「』と同じく複数人の視点で物語が進む。
比べてみると今作品の登場人物はだいぶ癖の強い性格をしているから、共感はあまりできないかもしれないけど、得られるものはあると思う。
なんだか窮屈な気持ちで生活している人は一度読んでみてほしい。
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